人間が生まれつき持っているもの一切をひっくるめて「因」といいます。
生まれつき持っているものとは、性質、体質、およびそれに付随する一切のものを指します。
人間というものは、生まれつき気短かな性質、鷹揚な性質、軽率な性質、慎重な性質、機敏な性質、鈍重な性質というように、いろいろな性質、性格を持っています。
また、体質も、腺病質、癌体質、卒中体質というように、各自さまざまな体質を持ちます。
そのほか、賢い人、愚かな人、普通の人並みの人、というように、生まれつき定まったものがあります。色の黒い人、白い人、鼻の高い人、低い人、これも生まれつきです。
そういう一切の生まれつきその人にそなわっているものを「因」といいます。
生まれつきの才能、素質、嗜好など、要するに持って生まれたその人の「条件」です。「因」は、簡単に「生まれつき」と思えばいいでしょう。
「縁」というのは、その「因」をとりまく環境のことです。
環境といえば、まず、家庭、家族、生活の状態、学業、職業、友人等、その人をとりまき囲んで動く一切の現象です。これらのものを「縁」といいます。
つまり、「因縁」というのは、その人を成り立たせているすべての要素、要因ということになります。その人の因縁を見るというのは、その人の性格、健康、環境について、過去、現在、未来にわたり、すべて知るということになります。
人生の動向は、「因」「縁」「果」「報」と、この四段階に分けて見ていきます。
「果」というのは、因と縁の結びつきが、どのように進展していって、どんな結果を生ずるかということです。要するにその人の人生コースです。
「報」というのは、因、縁、果、とその人の人生が進んで、その結果、周囲にどのような影響をおよぼすかということです。その人の動向によって、その人の家族、近親、深いつながりのある人々にどういう影響をあたえるかということです。
また、「報」は、その人の子ども、孫の状態でもあります。
人の一生は、因→縁→果→報と進んでいるといえます。
その人の因を正確に見れば、縁も果も報もわかってくるでしょう。
同様に、その人の果を正確に見れば、さかのぼって縁も因も透視できるし、報も透視できるでしょう。
問題は、正確に、因、縁、果、報を見ることができるかどうか、ということです。
阿含宗で非売本として配られている『人はどんな因縁を持つか』で学んでいきたいと思います。