心を安穏にする習慣

 瞑想を習慣にしたいものです。

 瞑想といっても、呼吸を数えて、その息を心の眼で観ていくものです。簡単なようですが、奥深いものがあります。

 気持ちよく爽快な気分で、呼吸をしていきます。姿勢が大切です。

 腹が立つとき、悔しいとき、泣きたいとき、辛いとき、不安なとき、そういうときこそ、心を転換して、安穏に前向きに生きるようにしたいです。

 瞑想は、心を安穏にします。

 心を落ち着かせてくれます。

 ただ、ここで注意しなければならないことは、怒り、悲しみ、苦しみ、不安をそのまま瞑想に持ち込むことはしないということです。

 瞑想は、自分が自覚していない潜在意識まで動かす力があります。怒り、悲しみ、苦しみ、不安をそのまま、瞑想に持ち込むと、ますますその心が増幅され、現実化していきます。たとえば、不安をそのまま、瞑想のテーマにしてしまうと、その不安がそのまま現実になるように、潜在意識が働いてしまうということです。潜在意識は、自分が自覚していない意識ですから、知らず知らずに自覚しないまま無意識に働いていきます。

 この潜在意識の働きを、良いほうに活かすことがポイントです。自分の自覚していない無意識の意識が明るく、元気に、楽しく、希望に満ちているならば、どんな困難な状況でも、知らず知らずに無意識に、そうなるように働くでしょう。

 そこに瞑想のメリットがあると思います。このメリットを活かすには、瞑想の前に、自分も周囲も明るく、元気に、楽しく、希望に満ちるように心を切り替えなければなりません。そこに工夫が必要です。

 いずれにせよ、瞑想は心を安穏に前向きにしてくれます。どんなに絶望的な苦境に立たされても、潜在意識が安穏で前向きであるならば、どんな困難な状況でも現実化するように、知らず知らずに無意識に道を開くように働いていくでしょう。

人間の持つ最大の宝

瞑想は、人間の持つ最大の宝である。(阿含宗開祖のお言葉より)

 この最大の宝を手に入れないことは、大変、もったいないことです。

 瞑想の習慣を持ちたいものです。

 たとえ、忙しくても、五分ぐらい、ゆっくり息を数えながら、その呼吸を心の眼で観ていくだけでも、心が落ち着いてきます。

 瞑想は、ただ、心を安穏に落ち着かせるぐらいのことか、と思ってしまうのは、大変、もったいないことです。

 絶望的な苦境に立たされても、心は安穏で前向きになることが、どれほど素晴らしいことでしょうか。

 瞑想によって潜在意識が動き始め、いろいろと気づくことがあります。その気づきの喜びに触れて、ますます楽しくなっていくでしょう。

 内的条件、自分自身の生理的条件や、外的条件、外の状態がどちらも無理なくリラックスできる状態で、瞑想をやるのが一番良いわけです。

 禅宗のお坊さんたちは、そういったところも突き抜けて、ごく冷たい石の上で坐禅を組んだり、また暑いところで修行いたしますが、それは、特殊な人たちのことであって我々は、一般に瞑想を苦しんで始めるというよりも、楽しんでやっていく。そして瞑想のあたえる良きものを自分のものにしていく、それが大切ですね。

 そして、瞑想の修行が進んでいくに従って苦しいと思われる修行もしていくわけです。

 私は、この瞑想は人間が持つ最大の宝だと思うんです。みんなだれでも心は持っていますけれども、その心の使い方によっては、素晴らしい世界が自分の内面に表れてくるわけです。ですから、リラックスして楽しんで瞑想をやっていく。そのようにして始めていくわけです。

[阿含宗報の記事より]

 リラックスして瞑想を楽しみ、心を安穏に前向きに生きたいものです。

助縁・・・自分を助けてくれる縁

 物事が成就するためには、自分の突破していく努力の他に、自分を助けてくれる縁も必要だと思います。足を引っ張る縁、邪魔する縁ばかりでは、物事は成し遂げられないでしょう。

 では、どうしたら、助縁、自分を助けてくれる縁が得られるのでしょうか?

 というテーマで、瞑想します。

羽黒山からの祈り

 羽黒山は、今年、午歳御縁年にあたり、十二年に一回のめでたい年まわりで、この年にお参りすると、十二年分のご利益があるといわれています。

 この時機に修験道の霊山で知られる羽黒山で阿含宗東北本部主催の柴燈大護摩供が行われました。

 羽黒山午歳御縁年を奉祝するお護摩です。

 私は、人伝に限定公開のネット配信を知り、そこでじっくりと祈りを捧げました。

 出羽三山神社の鏡池前が、法要地でした。三神合祭殿のとても重々しい厚みのある茅葺きの屋根が映像に映し出されていました。

 護摩の点火の前に山伏問答が行われましたが、それは、護摩法要に参加を申し出る旅の修験者と、護摩法要を行う主催者側の修験者とが問答をするという設定で行われます。この問答によって、法要の意義や、修験道の歴史、作法の意味、修験者の心構えが解き明かされていきます。

 旅の修験者が、

「出羽三山柴燈大護摩供を修行される意義は、一体、何か?」

 と、尋ねます。

 すると、法要を行う側の修験者が、概ね次のように応えます。

「出羽三山は、古来より神仏冥合の聖地で、我が国の東北の守りであり、その要の地でございます。また、本年、十二年に一度の羽黒山午歳御縁年にあたり、御神徳発揚のめでたき年でございます。世界安穏をなし遂げなければならない今日、古より反復されている戦乱による犠牲者、飢餓飢饉で亡くなった御霊の悲痛な叫びを鎮め、国土安穏、世界平和を祈念するのでございます。」 

 イラン情勢で物価高騰の「現代の飢餓飢饉」の不安の中、自分の中にある怒り、憎しみ、怨念を護摩の炎によって平和安穏の情熱に燃え上がらせて祈ります。

聖不動結界護身

聖不動結界護身

定手火風並申。地水屈掌内。空押地水甲。恵手亦如是。恵劍入定鞘。

即置左股上。誦真言七遍抜出恵劍。定鞘當胸左。恵劍左三轉。爲辟除。

右三轉。爲結界。次指四方四角上下結界。但自東北角可起首之。然後印身五處。

真言曰(亦云。用降之世)由此印真言加持力故。辟除諸魔。消除障難。成就易得

 祈りと瞑想として、行い、

 自分を殺す自らの欠点を、聖なる炎の光で焼き尽くし、

 自分を活かす長所を燃え上がらせます。