ウクライナにあるユダヤ教の聖地

ウクライナにあるユダヤ教の聖地

 ウクライナに「ウマニ」という都市があり、ユダヤ教の聖地になっているところがあります。毎年、ユダヤ新年には、イスラエルをはじめ、世界中から、何万人ものユダヤ教の巡礼者が訪れています。

 ウクライナは戦時下ですが、ユダヤ教徒の巡礼は途絶えていないようです。

 なぜ、こんなに何万人ものユダヤ教徒が巡礼することになったのでしょうか?

 それは、ラビ・ナフマンという十九世紀のユダヤ人聖職者が、遺言を残したからだといわれています。毎年一回、ユダヤ新年に自分の霊廟に集まるように、という遺言が、ウクライナのウマニ聖地巡礼の始まりだといわれています。とてもカリスマ性のあったラビだったようです。

ラビ・ナフマン

 ラビ・ナフマンは、生前から非常に力のある人で、大勢の信者がついていました。

 しかし、自分の死期が近いことを悟って、どこで死ぬかを定めます。

 ラビ・ナフマンは、現在のウクライナのウマニへ行って死ぬと言います。すると、弟子がこう尋ねます。

「そこは非常に不浄なところです。幾度もユダヤ人の虐殺が行われ、呪われた町です。どうして,、そこなのですか?」

 ナフマンは、こう応えます。

「ごらんなさい、この町の上にはあれほどたくさんのユダヤ人の霊がさまよっている。そして、その霊たちが自分に助けてくれ、と言っている。」

 このラビは、仏教でいう成仏していない、さまよう霊を見ることができたようです。

 しかし、自分が生きている間は霊を救う力はありません。さまよっている霊を救う力は「義人」となって死んでから特別に与えられるものだというのです。

 だから、救われない霊を浄化するために、ナフマンはウマニへ行き、毎年一回、ユダヤ新年にはウマニに集まれ、という遺言を残して、その地で世を去りました。

ウマニ巡礼の歴史

 そこで、弟子たちは、毎年、ウマニに集まり、聖地巡礼が始まりました。それが今から200年ぐらい前の出来事です。

 以来ずっと巡礼が続けられました。

 ソ連時代のウクライナは、共産主義体制で、70年ほどでしたが、その間もずっと巡礼は続けられていました。

 唯一、巡礼が途切れたのは、ナチスが侵攻して、霊廟を破壊したときでした。

 第二次世界大戦が終わり、信者がウマニの聖地へ行ってみると、霊廟はばらばらに壊され、お墓だけが残っていました。

 しかし、反ユダヤ感情を持ったウクライナ人がすでにこの聖地を占拠していました。ところが、このウクライナ人にはさまざまな災いが降り懸かって、気味が悪くなり、結局、その土地を明け渡しました。そのために、ユダヤ人は霊廟を再建できました。戦後すぐに巡礼は復活し、共産主義体制が終わって信仰も自由になってからは、非常に活況を呈するようになりました。

 今、ウクライナで戦争が起きていますが、それでも巡礼は続けられています。

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ユダヤ教の霊魂救済法

 ユダヤ人の信仰に、不幸な死に方をした人の霊はそこに留まり、聖者の救いを待っているという信仰のあり方は、仏教の施餓鬼供養に近いものがあると思われます。

 ただし、聖者が自ら死を迎えることなく生きたまま成仏法を修して、お御霊を成仏させるという点において仏教は優れています。

 それにしても、ユダヤ教にも仏教同様に死者救済の思想があることに驚きます。

危機からの脱出

キツネと葡萄畑

 ある日、キツネが葡萄畑のそばを通りかかった。

 あまりにもおいしそうな葡萄が垂れ下がっているので、畑に入ろうとした。

 ところが、葡萄畑はしっかりと柵に囲まれて、太ったキツネは、その隙間を通れない。

 そこでキツネは考えた。

「よし、それなら野うさぎを捕まえるのをやめて何日も空腹を我慢すれば、痩せて柵の隙間を通れるようになるに違いない」

 キツネは餌を獲る狩りをやめて自分の巣の中に何日もこもって、空腹をじっと我慢した。

 やっと柵の隙間を通れるぐらいに痩せてきたので、フラフラになりながら巣穴から出て、葡萄畑の柵をすり抜け、お目当ての葡萄にありついた。

 とても美味しい。

 あまりにも美味しいので、ついついキツネは夢中になってもうこれ以上、胃に入らないほど何房も食べ続けた。

 ハッと我に返ったキツネは、自分の腹が葡萄でパンパンに膨れ上がって、入ってきた柵を通り抜けられなくなってしまったことに気がついた。

 このままでは自分の巣穴に戻れない。

 そこで、キツネは考えた。

 二つの選択肢がある。

 ひとつは、苦しいけれど、食べた葡萄を全部、吐き出して胃袋を元のペシャンコに戻す。

 もうひとつは、猟師に見つかる危険を冒して柵の中にとどまり、葡萄の木の間に身を隠して、入ったときと同じように痩せるまで待つ。

 さて、キツネはどちらを選択したらいいだろうか?

 ユダヤ教では家庭で母親が子どもに、小さい頃から、タルムードの説話を聞かせて、考える力を養わせているといいます。

 民族の危機や試練を積み重ねて出て来たものなのでしょうか。

 ちなみに、この「キツネと葡萄畑」では、ユダヤ人の母親の多くは、どちらの選択肢も、「No」と答えるそうです。

 では、そのキツネでしたら、どう行動すべきでしょうか?

自らの殻を破るには

母鳥と三羽のヒナ

 鳥の巣が大嵐に見舞われ、巣もろとも三羽のヒナも地上に落下する危険が迫ってきた。

 母鳥は海を渡って安全な岸にヒナを避難させようと考えた。

 しかし、嵐の中、一度に三羽のヒナを運べない。母鳥は一話ずつ運ぶことにした。

 まず、一羽のヒナを掴んで大嵐の中、飛び立つ。

 海を渡っている途中、母鳥はヒナに尋ねた。

「子どもよ、お母さんは命がけでお前を助けようとしているが、お前はその代わりに何をしてくれるのかい?」

「お母さん、こんな大嵐の中でそんなことを考えている余裕はありません。とにかく私を安全なところに運んでください。」

 その答えを聞いた母鳥はそのヒナをパッと海に落としてしまった。

 母鳥は巣に戻ると、次のヒナを掴んで安全な対岸へ飛び立った。

 そして、また、母鳥は同じことを聞いた。

 すると、つぎのヒナはこう答えた。

「お母さん、まず私を安全なところに運んでください。そうすれば必ず私は毎日、食べものを運んで恩返しをします。」

 それを聞いた母鳥は、そのヒナも海に落としてしまった。

 母鳥は再び巣に戻ると最後のヒナを掴んで安全な対岸へ飛び立った。

 風雨の舞う海上を飛びながら、母鳥は同じことを聞いた。

 すると、三番目のヒナは、こう答えた。

「お母さん、私はお母さんがしてくれたことを必ず私の子どもにもするつもりです。」

 これを聞いた母鳥は、このヒナを安全な対岸へ無事に送り届けた。

 とても残酷に感じますが、それぐらい危機や試練を乗り越え、生き延びるためにユダヤ人は、親から子へユダヤ教を受け継ぐことをとても重要だと考えているようです。だからこそ、怖さとともに子どもたちの心にしっかり残すような説話になったのでしょうか。

 いつも読誦する阿含経「応説経」の釈尊のお言葉も、よくよく考えてみれば、このタルムードの「母鳥と三羽のヒナ」と同じ残酷さの響きがあります。

 たとえば鶏が卵を産みすぎて、親鶏が随時に温めたり、風を送って冷やしたりする、というような世話が十分にできなかった卵があれば、その世話が十分に行き届かなかった卵の中のヒナは孵化(ふか)をしようと、くちばしや爪で卵の殻を内側からつついたとしても、そのヒナは自力で殻を破って孵化することができません。

 なぜでしょうか?

 親鶏が随時に卵を温めたり、風を送って冷やしたりするというような世話が、十分にできなかったからです。

 それと同じように、仏道修行者がさまざまな修行に励んだとしても、仏道修行は成就しませんし、漏尽解脱は得られません。

阿含経『応説経』より

 徳なくして行を進めることはできない、と言われますが、それは如来の加護なくして進めることはできないということだと思います。

 

 

‘’イランへの反撃「反対」‘’

 イスラエル国民の74%は、同盟国の関係が損なわれるようであれば、イランへの反撃は反対だというヘブライ大学の世論調査です。

 一方、残りの26%は、同盟国が損なわれてもイランへ反撃すべきだと世論調査に答えています。

 万世一系の皇統の国で恩恵を受けている一人の国民として、この強硬に反撃すべきと答えているイスラエル人の心境を理解するのは難しいかもしれません。

 しかし、反撃すべきでないという七割以上のイスラエル人の望みが反映されることを願います。