キツネと葡萄畑
ある日、キツネが葡萄畑のそばを通りかかった。
あまりにもおいしそうな葡萄が垂れ下がっているので、畑に入ろうとした。
ところが、葡萄畑はしっかりと柵に囲まれて、太ったキツネは、その隙間を通れない。
そこでキツネは考えた。
「よし、それなら野うさぎを捕まえるのをやめて何日も空腹を我慢すれば、痩せて柵の隙間を通れるようになるに違いない」
キツネは餌を獲る狩りをやめて自分の巣の中に何日もこもって、空腹をじっと我慢した。
やっと柵の隙間を通れるぐらいに痩せてきたので、フラフラになりながら巣穴から出て、葡萄畑の柵をすり抜け、お目当ての葡萄にありついた。
とても美味しい。
あまりにも美味しいので、ついついキツネは夢中になってもうこれ以上、胃に入らないほど何房も食べ続けた。
ハッと我に返ったキツネは、自分の腹が葡萄でパンパンに膨れ上がって、入ってきた柵を通り抜けられなくなってしまったことに気がついた。
このままでは自分の巣穴に戻れない。
そこで、キツネは考えた。
二つの選択肢がある。
ひとつは、苦しいけれど、食べた葡萄を全部、吐き出して胃袋を元のペシャンコに戻す。
もうひとつは、猟師に見つかる危険を冒して柵の中にとどまり、葡萄の木の間に身を隠して、入ったときと同じように痩せるまで待つ。
さて、キツネはどちらを選択したらいいだろうか?
ユダヤ教では家庭で母親が子どもに、小さい頃から、タルムードの説話を聞かせて、考える力を養わせているといいます。
民族の危機や試練を積み重ねて出て来たものなのでしょうか。
ちなみに、この「キツネと葡萄畑」では、ユダヤ人の母親の多くは、どちらの選択肢も、「No」と答えるそうです。
では、そのキツネでしたら、どう行動すべきでしょうか?