ものの道理

 如意輪観音さまの右の第三の手は、念珠を持つ、畜生界の衆生を救う手だとされています。

 畜生界の根本煩悩は、『癡』です。それを断つ実践が、智慧行で、念珠を持つ手は、それを示しています。

 『癡』は、ものの道理のわからない心の作用だといわれています。

 たとえば、栗の木を植えておいて、林檎がならないと腹を立てたならば、人はなんと言うでしょうか?

 あるいは、菊の苗を植えていながら、バラが咲かないと嘆いたならばどうでしょうか?

「なにをバカなことを言っているんだ」

と誰でも言うはずです。

 ところが、物事がさらに複雑化して、込み入った事情になりますと、栗の樹にむかって林檎がならないというような「愚痴」を言って、怒ったり、嘆いたりしていることに気づかず、事をさらに悪化させている可能性があるかもしれません。

 仏教の説くものの道理は、縁起の教えで、因縁因果の法則とされています。因が縁を引き寄せ、結果を招き、他へ影響を与えて、次の因となっていく法則で、その働きを動かす力が「業(カルマ)」だと理解しております。

 その業(カルマ)の改造の方法が説かれているのが仏教で、人間を賢くさせていくことが、その眼目ではないか、と考えております。

 智慧行と一口に言いましても、そもそも智慧がなかったら、その実践は、不可能です。智慧獲得の方法が無ければならないはずです。

 それが左の第三の手で持つ輪宝が示しているのでしょう。