かつて、阿含宗開祖桐山靖雄管長が短波放送で講義したときの内容です。
瞑想の心構え
瞑想の修行に当たって、最も大切な心構えについて述べてみましょう。
一口に言うと、「瞑想の妨げになるようなことは避け、修行の助けになるようなことをする」ことが大切です。注意点はいくつかありますが、基本的なものを五つ挙げてみましょう。
一、あまり欲張らないこと
二、人と争わず、腹を立てないこと
三、規律正しい生活をすること
四、実行力を養うこと
五、自分勝手な言い分や行動を取らないこと
「なんだ、瞑想とは倫理・道徳のようなものなのか。自分はそういう煩わしいものにとらわれず、自由でのびのびとした気持ちで瞑想をしたいのだ。」
と言う人があるかもしれません。
そうです。瞑想というものは物事にとらわれず、自由にのびのびと心を集中したり、解放したりすることが大切です。それが瞑想の持つ長所の一つです。
「では、なぜ、こんな、『欲張るな』とか『腹を立てるな』とか、拘束するようなことを言うのか? もっと、のびのびと自由に修行させたらよいではないか?」
とお考えになるかもしれません。
そのとおりです。
だからこそ、この五項目の心構えが必要なのです。
瞑想は、心を集中するところから始まります。また、いろいろな対象に心を向けて、さまざまな想いを巡らさなければならない。その時、心はどこまでも自由で、とらわれないものでなければならない。けれども、心がそういう状態を保つためには、瞑想するときだけ、心だけでいくら一生懸命になって、
「なにものにもとらわれず、自由にのびのびと、対象だけに心を向けよう」
としても、そうはいかないのです。普段の生活のあり方、環境というものが物を言います。生活上のいろいろなことが不安定で、心配や苦しみに満ちていたなら、いくら瞑想の座[ざ]に座[すわ]って心を落ち着け、心をのびのびさせようとしても、そうはいかないでしょう。
生活を正す
もちろん、いろいろな不安や悩みや苦しみに満ちた生活の中にあって、それらのものに心を動かされず、より高く、より聖なるものを求めて瞑想をするということが大切で、そこにこそ瞑想の意義があるのだとも言えます。
しかし、そういう瞑想によって得たものを日常生活に生かし、自分の生活を安定した、不安のないものにしてゆくには、やはり努力して、より良い環境をつくるよう、生活を規正してゆかねばならないのです。
例えば、学生が勉強をしないで怠けていて、落第の不安にいつも悩まされながら一心に瞑想をしても、本当の瞑想の効果は得られません。これは学生だけではなく、どのような地位、どのような職業、どのような立場の人でもそうでしょう。自分の生活が乱れ、なすべきことをきちんとしないで、勝手なことをしていたならば、必ずその人の生活は不安定となり、いろいろな悩みや心配事が、その人の周辺を襲うはずです。そのような状態でいくら瞑想をしても、瞑想の効果を上げるどころか、瞑想らしい瞑想もできないのです。
ところが、世の中の多くの瞑想修行者を見ていますと、往々にしてなすべきことをせず、乱れた生活をそのままにして、当然、起こる不安や悩みや心配事を、
「なんとか打ち消したい。逃れたい。」
と思って瞑想を行っている人が少なくないのです。
これでは本末転倒で、いくら一生懸命にやっても、瞑想にはなりません。一生懸命に必死の努力をしても、わたくしたちはさまざまな苦しみや悩みに取り囲まれています。また、人生にはいろいろな矛盾や疑問がある。そういうものを解決するためにこそ、瞑想があるのです。怠けていて、勝手放題のことをやっていて、そこから当然、生ずる悩みや苦しみを解決するために、瞑想があるのではないのです。
一口に〝自由にのびのびと、なにものにもとらわれず〟と言いますけれども、そこまで行くのには大変な修行が必要です。そこまで行ったら、もう修行など要らないと言ってもよいくらいです。そこまで行くためにこそ、この五つの心構えが、最低限、必要となってくるのです。
〈1977年4月5日「日本短波放送講義 密教瞑想道場」〉より
私は、赤面するぐらい、全く至らない者で、このような文章を紹介できるような者ではありませんが、少しでも浄め高められるよう、再び、如意輪法を始めて、〝自由にのびのびと、なにものにもとらわれない〟境地に近づく訓練をしたいと思います。
如意輪観音様は、貪りを断って「あまり欲張らない」ために布施行をあらわす如意宝珠(意の如く願いがかなう宝の珠)を持ち、「人と争わず、腹を立てない」ために忍辱行をあらわす思惟のしぐさをして、「規律正しい生活をする」ために持戒行をあらわす手で山を持(じ)し、「実行力を養う」ために精進行をあらわす蓮華を持ち、「自分勝手な言い分や行動を取らない」ために、智慧行をあらわす念珠と、禅定行をあらわす「輪宝」をお持ちです。
おおいなるものにすがって、ナントカ不徳を積まないようにして、徳を積んでいきたいと思います。