般若心経の説く眼目は「智慧の行」だと理解しております。
「空」の教えを「欲望に執着するな。とらわれるな。」というだけですと、片手落ちで、やはり執着しなければ、何事も成就できないのではないでしょうか。
達磨大師のような「面壁九年」の坐禅に至っては、執着も執着、大執着です。執念と言ってもいいかもしれません。
〝放下著(ほうげじゃく)〟に執着して、智慧の行になるかどうか、実践させていただきたいと思います。
ただ、「空」と「無」を取り違えてしまいますと、全く意味が変わってしまい、虚無論に陥ってしまう恐れがあり、気をつけたいところです。
また、「空」の思想について、もう少し、調べようと思います。