瞑想は心の使い方

 瞑想は心の使い方を学ぶ修行とされています。瞑想の心の使い方には、集中して思念を留める「止」(シャマタ)と洞察して分析する「観」(ビバシャナ)の二種類があります。

 如意輪観音様の前で祈りと瞑想を続けていますが、集中力の強化が非常に重要だと痛切に感じております。お次第に、よく「観想せよ、・・・」とあり、ありありと鮮明に思い描くことが求められていますが、その土台となる心の働きは集中力です。

 集中力が貧弱ですと、当然、イメージも貧弱になりますので、私の今の課題は、集中力をいかに強化していくか、ということです。

 どうしたらいいかなあ、と思っていたら、阿含宗報の、次の記事が目に飛び込んできました。

瞑想の真髄に至る高度な修行ご指導

 7月18日、関西総本部において「管長猊下特別瞑想講義」が開かれた。このたびの特別瞑想講義では、瞑想の具体的方法として、対象と一体となることを具体的に表した映像「母と子の瞑想『とりさんのおはなし』」や「般若心経瞑想法」の真髄である「空性」を示した映像「縁起流転水想観」で心の使い方が示され、最後に自分が体の中から光明を輝かせ、仏さまと一体となる高度の瞑想法「大仏光観」が伝授されたのである。

 二時間にわたるご講義では、この他、瞑想の基本となる体づくりのための正しい食事の摂り方や強健な肉体をつくりあげる「火の呼吸法」など、実践を交えてご指導された。

 真の伝法は師から弟子へと直接、伝えられる。管長猊下は、その師資相承の極致である「思念の伝達の瞑想」を行われ、「瞑想というのは、非常に難しいですから、この大仏光観から始めなさい。割合に早く上達できると思う。この次、会ったときには、観自在菩薩のような顔になっているかもしれないね」

阿含宗報(2004年8月27日号)より

 失敗ばかり重ねておりますが、観自在菩薩となって、般若の実践「智慧の行」ができるように、師の志を継いで、世に貢献させていただきたいと思っています。