間脳思考

 著者は、仏教を理解する上で、「絶対にごまかしてはならないこと」として、次のように述べています。

 ゴータマ・ブッダの教えは、現代日本人である私たちにとっても、「人間として正しく生きる道」であり得るのかどうか、・・・結論から言えば、そのように彼の教えを解釈することは難しい。・・・ゴータマ・ブッダの教説は、その目的を達成しようとする者に「労働と生殖の放棄」を要求するものであるが、しかるに生殖は生き物が普遍的に求めるところであるし、労働は人間が社会を形成し、その生存を成り立たせ、関係の中で自己を実現するために不可欠のものであるからだ。

 現代風にわかりやすく表現すれば、要するにゴータマ・ブッダは、修行者たちに対して「異性とは目も合わせないニートになれ」と求めているわけで、そうしたあり方のことを「人間として正しく生きる道」であると考える現代日本人は、控えめに言っても、さほどに多くはないだろうということである。

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ゴータマ・ブッダの教えというのは、人間が放っておけば自然に向かっていく流れの方向に、真正面から「逆流」することを説くものである。

「来たれ比丘よ。正しく苦を滅尽するために梵行を行ぜよ」

という彼の言葉は、現代日本人の感覚からすれば明らかに、「世の流れに逆ら」った、「非人間的」な生活へと人を導くものだ。

・・・・・大切なことは、「では、そのような『世の流れに逆らう』実践を行ってまで、彼らが目指したことは何だったのか」ということを、私たちが再度徹底的に、考え直してみることである。

魚川祐司著『仏教思想のゼロポイント』(新潮社)より

 「世の流れに逆らう」非人間的な修行を要求するゴータマ・ブッダの教説は、一体、何を目指すものでしょうか。

 それは、霊性の脳を開発し、霊性完成を目指すものだと、阿含宗開祖・桐山靖雄大僧正猊下は、自著『間脳思考』で述べておられます。

 人間の脳は、進化の過程で、三つの異質な脳を持っているといわれています。

 最も古い脳である古皮質は、基本的に爬虫類の脳で、二番目に古い旧皮質は、下等哺乳類から受け継いだ脳です。三番目の新皮質は、後期哺乳類から発達した脳です。

 つまり、

 古皮質 — 蛇、ワニの脳

 旧皮質 — 馬、羊の脳

 新皮質 — ヒトの脳

 この三つが、人間の大脳のなかで同居していることになります。(日本学術会議_おもしろ情報館)この三つの異質な脳がバランスよく協力しあって機能していればよいのですが、どうもそうではないようなんです。

 

よりたくましく、よりうまく、よりよく生きる

 ヒトは、「よりたくましく」「よりよく」「よりよく」生きるために、今日の文明を築いてきました。ヒトの脳が、今日の文明を築いてきたと見ることができます。そのままさらに突き進んで、発展した文明を築いていくことを望みますが、一抹の不安もあります。原子力発電所として平和利用する一方、核兵器として戦争に利用しようとする矛盾した側面があるように、ヒトの脳には、ジギルとハイド、神と悪魔、仏と鬼が共存しているのです。人類の歴史は、戦争の歴史といわれる由縁です。

 ブッダが説かれた教説は、それを是正するために、ヒトに霊性の機能を開発させるものだと、阿含宗開祖・桐山管長猊下は、自著『間脳思考』で述べられているのです。 

大脳辺縁系・新皮質脳を殺す修行

 それはひと口にいって、大脳辺縁系・新皮質脳を殺す修行である。

 大脳辺縁系と新皮質脳を殺さなければ、間脳は作動せず、第三の目はひらかないのである。

 ただし、誤解してはいけない。大脳辺縁系・新皮質脳を殺すということは、究極において、大脳辺縁系、殊に新皮質脳を生かすということなのである。新皮質脳は「創造の座」であるといわれる。しかし、ほんとうの創造の座は間脳にあるのである。間脳はこれまでくりかえし説いてきたように、霊性の場であり、霊感(インスピレーション)の座なのである、ここが開発されることにより、ほんとうのインスピレーションが発生するのである。ただし、間脳を開発するためには、しばらくの間、大脳辺縁系と新皮質脳を閉ざさなければならぬのである。間脳が開発されたとき、新皮質脳はあたらしくよみがえる。あたらしくよみがえった新皮質脳こそ、霊性を基礎とした超人的なインスピレーションと創造力を持つ頭脳となるのである。

 ではそれはどんな修行か?

霊性完成の方法と体系

 シャカが残した霊性完成の修行法がそれである。これを、わたくしは、「成仏法」とよんでいる。成仏とは霊性を完成したことをいい、それを成就したヒトを「ブッダ」とよぶ。だからわたくしはその方法を、「成仏法」とよぶのである。

桐山靖雄著『間脳思考』(平河出版社)より

 その道は、とても険しく誰でも簡単に成就できるものではありませんが、しかし、成就できるように、運を良くする方法も説かれていることに驚嘆します。確かに運が悪かったら、とてもできるものではありません。

 運を良くすることからはじめます。