仏教の「方向」

 魚川祐司著『仏教思想のゼロポイント』(新潮社)を読んでいます。仏教を「わかりたい」読者に対して、「仏教とは結局何か」ということを統一的に理解できる筋道を提供するのが本書の目的とのことです。

 自分の仏教観を整理する上で、同書と対話していきたいと思います。

 第一章は、「絶対にごまかしてはいけないこと—仏教の『方向』」です。

 ゴータマ・ブッダの教えは、「労働の否定」「生殖の否定」をする出家を基本的な立場にしていますが、現代日本人である私たちにとって「人間として正しく生きる道」であり得るのかどうか、という問題提起があります。

 ブッダの悟ったものは、「世の流れに逆らうもの」と表現されています。「世の流れ」とは、世の中の人々は異性を求め、より豊かな暮らしを求めて、盲目的に欲望に夢中になり、それを喜び楽しんで「人生」が展開していく姿です。水が高いところから低いところへ流れる自然の傾向です。

 しかし、ゴータマ・ブッダの教説は、その自然の勢いに真正面から「逆らうもの」です。だからこそ、自分の証得した法のことを「世の流れに逆らうもの」と捉えました。

 したがって、欲望の対象への貪りを離れ、それらの寂滅を説く自分の教えは、世の人々に理解されないだろうと考え、説法しない気持ちに傾いていたところ、かの有名な「梵天勧請」のエピソードが起きました。語っても理解できない者もいるけれども、語れば理解する者もいることを知って、説法を決意したというエピソードです。

 

 ここで、この章を自分の頭で整理します。

 この章には、「田を耕すバーラドヴァージャ」の話が紹介されていますが、それは「世間福」と「出世間福」の違いを理解するところではないかと思いました。「世間福」より「出世間福」のほうが最高で、仏教はその「出世間福」を求める宗教だと理解しています。