欲界定

 マツジマ・ニカーヤ(中阿含経)に、ゴータマ・ブッダ自身によって語られた瞑想体験の記述があります。

 わたし(釈尊)は、つねに努力精進し、その想いは確立してすこしもみだれず、体は安楽で動揺せず、心は禅定に入って静かである。そのわたしがあるとき、瞑想に入って静かである。そのわたくしがあるとき、瞑想に入ってしだいに禅定が深まってきた。第一禅定から第二、第三、第四禅定まで深まるにつれて、心に思い浮かぶなにものもなくなり、喜びや楽しみだけとなり、そして遂にはそれもなくなって、ただ清浄な想いだけとなった。

 そのときわたしの心は、一点のけがれもなく、清く明るく、絶対不動であった。そしてわたしの心の眼はおのずから前世の光景に向けられていった。それは一生だけではなく、二生、十生、二十生、そして無限の生涯の、生き変わり死に変わりした光景が展開してきた。これが第一の智慧である。

 それからわたしの心は、あらゆる衆生のすがたに向けられてきた。わたしは超人的な眼力でその姿を見た。そこには、貴いもの、賤しいもの、美しいもの、醜いもの、幸福なもの、不幸なものの、それぞれの宿業が渦巻いていた。これが第二の智慧である。

 それからわたしは、苦・集・滅・道の四諦(四つの真理)をありのままに知り、わたしの心は、あらゆる存在の相から、全く解放され、ふたたびそれに執着することはなくなった。これが第三の智慧である。

 ゴータマ・ブッダの瞑想の深まりとその結果が、じつにあざやかに語られています。

 五つの段階に分けられますが、その第一段階は、次になります。

●つねに〔一つの目的に向かって〕努力精進を続けることができる。

●その想いは確立してすこしもみだれない。

●体は安楽で動揺しない。

●心は〔いつも〕禅定に入って静かである。

 これは欲界定(よくかいじょう)と呼ばれる瞑想です。

 欲界定とは、この日常世界において、四苦八苦の苦悩を処理し解決する能力をあたえる瞑想です。わたくしたちは、欲望の日常世界に住み、欲望の中で日常生活をしています。その欲望から生ずる心身の苦悩を、いちおう解決する能力をあたえる瞑想です。それは、まだ、欲望そのものの解決ではありませんが、現象的な苦悩をいちおう解決する能力を持つ、とされています。そして、つぎなる段階へ登る準備として、身心・環境を調整する段階でもあります。

 私は、欲界定の一つとして、ジョイフル瞑想を実践します。