天災鎮護

 先日、知人のお誘いで、京都嵯峨野にある「平安郷」というところに行きました。世界救世教いづのめ教団の境内地です。

 とても風光明媚なところでした。広大な庭園で、こういうところで、散歩したり、ジョギングしたり、瞑想したりするには、非常に恰好な場所だと思いました。とても気持ちの良いところです。

 ただし、ここは一般公開しておらず、事前に入場許可をいただかないと入れないとのことです。私をお誘いしてくださいました方は、私のような他宗教の者でも入れるように事前に申請し許可をいただいていたため、敷地に入ることができました。

 ご神事が執り行われるということで、誘われるまま、テントの席に座りました。

 前夜から降り続いていた雨が止み、新緑のそよ風が吹き、非常に心地よい気候でした。ご神事が執り行われると、時より、日差しが差し、自然の照明に照らされました。

 自然の中に神仏霊を感じさせる現象です。

 お誘いした方に、5月19日(日)に熊野本宮大社旧社地の「大斎原(おおゆのはら)」で奉修される阿含宗神仏両界熊野大柴燈護摩供を紹介し、護摩木祈願をお勧めしました。

 いつ起きるかわかりませんが、近い将来、発生が予想される南海トラフ地震の除災のために、神仏に祈ることに賛同していただき、護摩木に「天災鎮護」その他の祈願をしていただきました。

 人災は、人間の力である程度、防ぐことができないことはありませんが、天災は、どう仕様もありません。

『天災とは天の災いであるから、天の徳によってこれをまぬがれるよりほかないのである。

 天にたいして不徳を持たないことである。

 天とは、つまり、自然が持つひとつの法則・原則である。これに違背しないことだ。』

阿含宗開祖のご著書より)

 信仰の対象の違いはあっても、天地自然の中に神仏霊が存在しているというところで一致でき、意義深い交流ができたと思います。