挑戦する精神

 人生は、挑戦です。挑戦する精神を忘れたならば、その人はもうおしまいです。私も今まで挑戦しつづけてきた。因縁解脱と仏教というものに対して挑戦しつづけてきた。その間、随分、苦しい思い、辛い思いもしたけれども、そういう思いをすると同時に、なお一層挑戦する気持ちを燃え上がらせてきたわけです。

 今、世間は、大変厳しい状態になっている。しかし、このときこそ挑戦する心を奮い立たせて、そうして前進するしかない。成功を信じて挑戦しつづける。どんなに苦しいことがあっても、微笑みをたたえて挑戦しつづける、これでなければならない。そう、私は思います。

1993年6月朔日縁起宝生護摩法話より

 どんなに苦しいことがあっても、微笑みをたたえて挑戦しつづける、という気持ちを燃え上がらせてこられた、開祖のその原動力に集中してまいります。

 先日、阿含宗大阪道場に、財運強化の宝生如来さまが奉安されました。五智の宝冠を被り、達磨型の如来光背で、衣をかけて如来の位を示した台座に、総金箔荘厳彩色に施されたそのお姿は、誠に神々しく輝いていました。

 宝生如来さまは、その名のとおり、宝生の徳を授ける仏さまです。

 では、宝生の徳とは、一体、なんでしょうか?

 私は、自分の魂を豊かにしていくものだと考えています。自分の魂を貧しくしていくものは、決してそれは宝とはいえないでしょう。

 お金や財産、権力は、人によって宝にする人もいれば、貧しくする人もあります。その違いに気づかせ、導いてくださる存在があるのです。

 自分が本当にかなえたい願いが、自分の魂を豊かにするのは、もちろんのこと、家族や周囲の人、そして、自分とは無関係の人まで豊かにすることであるならば、挑戦すべきです。

 世の宝となるために。