大東流合気武術の佐川幸義師範の語録を記した『透明な力』(木村達雄著)を読みました。
自得について
人に言われたからと、そのまま大きな影響を受けるようでは駄目だ。自分の考えというものをもっていなければいけない。自分の頭で良し悪しを判断しなければいけない。
どんなに優れた人間でも完全ということはないのだから、決してその人のいうことを鵜呑みにしてはいけない。そういう気持ちは自分で開発していこうという気持ちをなくさせるから危険だ。学んでも、またそれを自分の考えで開発していかなければならない。
いくら教えても習っただけのものはすぐに忘れてしまうのだ。しかし自得したものは決して忘れず自分のものとなる。要するに教えるということはヒントを与えるのに過ぎない。自得しなくてはならない。特に合気は一種の内部感覚で自得しなければならない。
何でも質問すればよいというものではない。何でも教わろうという考えではいけないのだ。体が違うのだから同じやり方がよいとは必ずしも言えない。
実行している中から自然に自分で気づいてくるのだ。自分でやっていかなければ良いものはでてこないのだ。
何でも教えるというわけじゃないし、またそんなことは出来ないよ。教えることのできる基本というのはいわば骨組みなのだ。その骨に肉付けして実際に使えるようになるのは自分自身の考えでやるのだ。骨だけじゃ戦えないよ。
だから、習ったとおりにばかりやっていても、駄目なのだ。自分でそれを肉付けして幅を持たせなければならない。不思議なことにいくら教えても自分で得たものでないとうまくできないものだ。
合気修得と密教の念力修得に相通ずるものがあると思って、佐川師範の語録を読みました。
感想を二つほど、書きます。
一つは、「どんなに優れた人間でも・・・決してその人のいうことを鵜呑みにしていはいけない」という言葉ですが、まったく同じことを阿含宗開祖・桐山管長猊下も述べられておられることに注目します。
経典というものは、表面の文字のみで解釈すべきではなく、つねにその文字の奥にあってわれわれに語りかけているものを読みとることに心を用いねばならぬのだ。また、どのように偉い先人が、どのような解釈をくだしていても、決してそれを鵜呑みにしてはならない。それは一応の参考として、自分の読みかたをしなければならぬ。
『密教入門』より
もう一つは、自分で考え続けて工夫を重ねていく努力が正しい方向へ進歩向上していけばいいのですが、逆にかえって見当違いの我流になって間違った努力に陥らないだろうか、という問題です。
私は、大いなる存在のお導きがどうしても必要だと思っています。