風難

 テレビドラマ『正直不動産』の第1話のラストシーンにこんなセリフのやりとりがあります。

 

和菓子職人の石田役(山崎努

「そういえば、儲からないのに、なんで五十年も菓子、つくってるのか聞いたな。」

永瀬財地役(山下智久

「・・・はい。」

石田

「大した理由じゃない。」

永瀬

「でも、知りたいです。教えてください。」

・・・

石田

「俺の菓子、食うと、みんな幸せそうな顔をする。」

「だから、続けられた。」

永瀬

「なるほど・・・、それは・・・」

(ここで祠の祟り?の風が吹き、「正直」に言わせる。)

 

「一円にもなりませんね。」

 

石田

「ハハハハハ、・・・そうだな。」

「でも、仕事ってものは、そういうものだ。」

「俺は道楽者でね。楽しいことが好きなんだ。釣り、カメラ、大工仕事。今、仏壇、作ってる。マイ仏壇。自分で入る仏壇。」

「みんな楽しい。」

「だけど一番、楽しいのは、人を楽しませることだ。」

「だから、これからも、まだまだ菓子、作り続ける。」

 

 実績のある俳優が役と重なり合って言っているようなセリフに聞こえ、とても印象に残ります。

 徳を積むということは、たいへん難しいことのように思われますけれども、要は人に親切にするということ、人に思いやりを持って接するということです。人に不愉快を与えない、思いやりのある態度で接するということ、それが徳を積むということで、そうすると、回り回って自分が得をするということになると思います。

 それには自分というものを磨かなきゃいけない。自分が優れた徳を持ち、優れた人格を持つ。そうすると、人に大きな喜びを与えることができる。自分が貧しかったら、人に喜びを与えるどころじゃない。結局、不愉快な目に遇わせてしまう。

 しかし、押しつけがましい親切はいけませんね。押しつけがましく、思いやりを相手に与えようなどという態度ではいけない。また、自分が得をしようと思って、得を与えるというような利己主義的な態度は、かえって反発を買うと思います。だから、人に得をしたと思わせることが自分にとって喜びであるような、そういう人格を磨くということが大事でしょう。

・・・

 私たちも、人に大きな喜びを与えることができるように、得をもらったと、得をしたと思われるような自分になるように、自然にそうなるように自分を磨きましょう。できるだけ大きな器になるように自分を磨く、それが修行だと思います。

2001年9月朔日縁起宝生護摩阿含宗開祖ご法話より

 「この野郎、やりやがったな」と思うことはしばしばありますが、情動にかられた言動は、結果的にロクなことになりませんね。観音経に説かれる風難です。

 黒い暴風雨を晴らすために、深い全身呼吸をして「念被観音力」を実践し、磨きます。