護摩ー深層意識を開発する引きがね

 経済学者の成田悠輔さんが『大切にしている10のこと』の中で、「ボーッと火を眺めて頭と心のスイッチを切る」ということを打ち明けています。

 

ボーッと火を眺めて頭と心のスイッチを切る

 歳を重ねるごとに、もともとない集中力がさらになくなってきたので、もう集中するのはやめることにしました。常時気分転換することにしたのです。

 毎晩、部屋でローソクに小さな木をくべて火を焚くようにしています。自作の焚火ローソクです。歯を磨く、朝コーヒーを飲むというのと同じ生活習慣の一つで、今はすっかり無心になって火を作って眺めています。

 自分は体力がないくせに、放っておくと頭のなかで何かを考えて、ずっと情報処理をしてしまいがちです。火を焚く作業に没頭すると、何もやっていないのに近い状態を頭と心の中に作り出すことができる。デフォルト状態に回帰できたような気がするんです。

 せわしなく目的地に向かい、コスパを問われ、業績と締切に追われる中、ヨガや長編ドラマや焚火と戯れるとき、私たちは意味なんて特にない、生の当たり前の姿に立ち帰れるのかもしれません。

 「今はすっかり無心になって火を作って眺めています。」

 緊張した集中をやめて、リラックスした集中に切り替えて、起きて覚醒しているのに同時に眠っているような状態に近づくのを目指して、あるいは、「無意識に意識的にアクセスすること」を目指して、気分転換をはかり、結果的にその集中力をさらに強化させているんではないだろうか、と思います。

 火は無意識の意識を動かす力があると思います。

 超古代、火を持つことにより、ヒトはケモノと別離し、社会を形成する能力を得ました。火は、人類の生活様式のみならず、こころの構造も一変させてきました。そこに霊性の目覚めがあると思います。

 太古、何度かの氷河期を生きなければならなかった人類は、洞窟の中でかすかに燃えつづける火に、生きるのぞみを託しました。それは、魂の奥底に深く妬きつけられ、わたしたちの無意識層の中に、いまもあかあかと燃えて、鮮明な印象を残しています。

『光を閉ざした護摩堂の中で、しずかに燃える火と対し、「求聞持」「大随求」の法を修し、ふかく、ふかく、深層の意識にしずんでゆくとき、修行者は、ふかいこころの底で、洞窟の中にちらちら燃える炎と、くらい岩壁にめらめらうつる火の影を見、あらあらしい原野を吹きすさぶ風の音、名も知れぬ巨大なケモノの咆哮を聞く。

 護摩 ― それは、深層意識を開発する引きがねをひく指であった。』

  桐山靖雄著『変身の原理』(平河出版社)