〝青雲の志〟

 伊勢市の尾崎咢堂記念館を訪ねたことがあります。

 そこで、1枚の写真に目がとまりました。尾崎翁64歳ごろの写真と思われます。

1922年(大正11年)、芝公園での演説

 音響設備のなかった時代、たくさんの群衆の集まる中、演説が聞こえたんだろうか、と思いますが、群衆は聞いている様子です。

 声が通るほどのこの情熱は、どこからほとばしっていたのでしょうか。

 先日、ある席で、「青年」という言葉の由来を耳にした。

 これは、かつて、憲政の神様と称された、咢堂(がくどう)・尾崎行雄先生の造語で「青雲の志を持つ年」というところからきたものであるという。

 ある大学の老学長が、これを引用して

「わたくしは八十数歳になるが、つねに青雲の志に燃えている。ゆえにわたくしは青年である」

 とスピーチするのが常であると聞いた。

 まさにその通りで、わたくしなどもこの老学長同様、青年を以て自任しているが、しかし、これを裏返すと、年齢はいくら若くても、青雲の志を持たぬ者は、青年でないということになる。

 青雲の志に燃え、大志をいだくのは若者の特権であるが、しだいに、青年でない若者がふえつつあるように思えてならない。いや、青雲の志、というこの言葉自体、もう、若者たちに馴染みのないものになってしまっているのではなかろうか、すでに若者たちの世界から消え、死語になってしまっているのではないかと思われる。

 そういうと、この複雑多岐な、苛烈きわまる現代社会において、どこに青雲の志など燃えたたせる場があるのかと反問されるかも知れない。一生かかって、せいぜい、ささやかなマイホームを建てるのがせいいっぱい、それが現実ではないかというのであろう。

 しかし—、若者にとって、いつだって苛烈でなかった時代などないのである。いつだって、若者にとって困難でない時代などはなかったのだ。それだからこそ、かれらは青雲の志に燃えたのだ。

 いま—、青雲の志はどこへ行ってしまったのだろうか?

 

阿含宗管長・桐山靖雄(昭和54年11月23日)