〝獅子の児ならばよじのぼれ〟

10月15日の阿含宗開祖涅槃会に向けて、謹しみ敬い、ご教示を書き写し奉ります。

 君が、超人—超能力者を目指そうというのであれば、私は語ろう。

 いみじくも、ツァラトゥストラが語ったごとく、超人とはおのれを超えてゆくものである。他を超えてゆくのであれば、それを超えたとき彼のたたかいはおわる。しかし、超人はおのれを越えねばならぬ。それは無限の未来にむかっておのれとたたかいつつ燃えつづける星である。彼に安息は一瞬もない。それは、わが生命を凝縮、爆発させて光輝を増してゆく星である、暗黒星雲(グロビエール)が、内なるヘリウムを燃焼して巨星に進化し、さらに白色矮星から超新星へと輝きを増してゆくごとく、星の生涯が彼の生涯だ。

 もしも君が、超能力を持つことによって安楽に成功をかち得ようと考えるのなら、超人を目ざすことはやめたまえ。

 超人の歩む道はつねに苦難にみちる。彼のよろこびも誇りも愁(かな)しみも、それは彼ひとりのものである。彼をめぐる無理解と誤解と誹謗の壁は厚い、しかし、また、それらのものが彼を偉大ならしめていることを知らねばならぬ。

 おもてに微笑をうかべるとき彼のたましいは地をたたいて哭き、彼が黙して空をあおぐとき彼の精神(エスプリ)はまさに凍えて死なんとしつつあるときであることを君は知るか。

 この大いなる苦難への報酬はなにか?

 それはただかくじつにおのれにうちかちつつあるわがすがたを見るときだ。彼の負う大いなる使命をいま君にかたることはやめよう。そのあまりなるかがやきはおそらく君を絶望させてしまうのにちがいないから—。栄光はつねに絶望をともなうものだから—。

 それでも—君は超人を目ざすか?

 よろしい。私は君を受け入れよう。そして、私は、君を蹴落とす。はるかなる千仭(せんじん)の谷底へ。

 君は、おそれ、まどい、なやみ、くるしみ、まよわねばならぬ。いまだかっておそれ、なやみ、苦しみ、まよわぬことのなかった超人はない。その中から彼はうまれた。

 私はつきはなす。暗黒の中へ。君はひとりで道を見いだすのだ。私は君をうちのめす。君は泣くか、だが、豚の子は啼くだけだが獅子の児は吼える。

 君は吼えろ。君は跳べ。獅子の児ならばよじのぼれ、無限につづく断崖を。師を超えて君は行け、はるかなる空間をめざして。

 星間荒野(せいかんこうや)に光芒を曳いて飛びつづける大流星に君は化身するのだ。

(『密教青年』創刊号より)