情に棹させば流される

 もう23年前のテレビドラマになりますが、中園みほ脚本の『やまとなでしこ』の中で、こんなシーンがあります。

 主人公の桜子(松嶋菜々子)が、東十条(東幹久)との挙式の途中、『とんずら』して欧介(堤真一)の前に現れ、告白する•••

 

桜子「お金には変えられない、たった一つの大切なものがあるとしたら、それは……。つまり、結論から言いますと。……え、いや、結論って言うか……。今さら気づくのも何なんですけど、お金持ちじゃない人はいてもいなくても同じ、そう思ってました。でもそうではなかったんです。あなたは、いつの間にか……、ずっと前から、わたしの中に、いた……!?」


欧介「あ…、ありがとうございます……。桜子さんみたいな人から、そんなこと言われたら、男はだれでも、うれしくなります……。」

 

そこへ、二人の恋愛情動がまさに高まろうというとき、近所の小学生・タカシ少年が駆け込んで、割って入ってきます。

 

タカシ少年「オヤジィ~、昨日、どこへ行ってたんだよ。宿題、手伝ってくれる約束だっただろう! オヤジィ!」

 

欧介は、こんなときに邪魔すんな、と思いながらも、無下に断りきれず、仕方なく、その場で算数の宿題を見てあげることになります。

 

欧介「どこだ?」

 

タカシ少年「ここ」

 

欧介「ここか。どれどれ。割り算か。『8÷2=6』? 違うだろう。引き算じゃないんだから。4だろう。え~と、次は、6個の『いくら』を3人で分けるといくらか?」

 

タカシ少年「2!?」

 

欧介「そう。できたじゃん。」

 

タカシ少年「そうか。サンキュウ。じゃあな、オヤジィ」と言って、走り去っていきます。

 

欧介「オヤジじゃないって。」と去っていく少年に小言をいいながら、冷静な顔になって、ゆっくりと桜子に向き合い、こう言います。

欧介「お父さんを見送りに行ったとき、バス停であなたはこう言いましたよね。いつか王子様が迎えに来ると。そしてそれはぼくではないと。(苦笑)ほんとに、王子様なんてがらじゃないし。自分でもそう思ってますから。

どう考えても、ぼくはあなたにふさわしくない。

〝♫You‘er everything, you'er everything, ♪とMISIAの歌が流れ始める〟

だってそうでしょう。そんなの桜子さんらしくないですよ。今なら東十条さんのところに戻れるじゃないですか。そのほうが桜子さんのためだし。一度決めたことだし」

 

桜子「わかりました。」

 

欧介「ごめんなさい。」

 

桜子「いえ、私の方こそごめんなさい。そりゃそうですよねー、今の忘れてください。
私どうかしてました。本当に何言っちゃってるんでしょうね・・」

作り笑顔で、そう言って、その場を立ち去ります。

 

 タカシ少年に算数の計算をさせられて、欧介は冷静に理知が働き、情動に流されなかったシーンです。ここで情動にかられて、めでたく二人が結ばれるという展開では、ドラマにならないでしょう。引きずっていた過去の挫折から立ち上がり、挑戦から逃げない男に変身して、やっと支える女性が現れるという展開にするには、まだ、この時点では二人とも不十分です。そこで、欧介の情動に駆られない一面を描くシーンとして、タカシ少年を登場させたところがとても印象に残ります。

 このシーンのタカシ少年こそ、如意輪観音さまの念珠を持つ右の第三の手の救いを表すシーンだと私は思うからです。

 念珠を持つ、この救いの手は、畜生界の衆生を救う手とされています。畜生界の根本煩悩は『癡』です。人間の愚かさは、情動に弱いところから出てきます。情動は本能に根ざしていることが多いので、どうしても本質的に情に流され、溺れやすいところがあります。

 けれども、「情に棹させば流される」と言いますが、芸術作品などに「情感あふれる作品」などという賛辞の言葉があるように、情というものは非常に大切なもので、そのあり方が問題ではないでしょうか。
 仏教では五つの情があるとし、限、耳、鼻、舌、身の五根がそれぞれ感受し、この五情がいろいろ愛着の心を起こす、と説かれています。眼は眼で欲しいと感じ、耳は耳で好ましいと感じます。あるいは、その反対に、いやだと感じ、嫌いだと感じます。好き嫌いの心を起こします。
 この五情が、正しくコントロールされておりますと、その人の人格は円満であり、問題はないのですが、このコントロールができなくて五情の流れるままになりますと、大変、危険なことになります。流されているうちは、まだ、救いはありますが、へたをすると溺れてしまうようなことになるわけです。そうなると、もう、ただではすみません。
 時には激流となって、溺れて身を滅ぼし、自分も家族も大切なものすべてを流し去ってしまいます。

 如意輪観音さまの持つ念珠は、衝動的に襲う情動から身を防ぐ方法を示しています。念珠は、もともと数をかぞえるための法具で、論理的に計算して、理知を働かせる実践を象徴します。

 では、情など解さない無味乾燥の人間になるのかというと、そうではなく、如意輪観音さまにも「情」があります。ただし、人間の持っているような「五情」の情ではなく、「慈悲の情」です。

 

〝♫You‘er everything, you'er my everything, あなたの夢見るほど強く、愛せる力を勇気に、今変えていこう♫〟