選択能力と被選択運を高める

 人生は、何を選び続けてきたか、その結果であるという見かたはできないでしょうか。

 いや、自分は、何も考えずに、全く意識せずに「無意識」に無目的で生きていますという人もあるかもしれません。確かに、進学、就職、結婚となれば、いろいろ考えて選択するだろうと思いますが、日常、さまざまなことを、いちいち、右へ行くか、左へ行くか、前へ行くか、考えずに選んでいることのほうが多いと思われます。「無意識」に選んで行動する、あるいは、行動しないというのが日常の選択行為だと思います。そういう意味では、意識する、意識しないに関わらず、「無意識」でも常に選んで、人生を過ごしているということになるのではないでしょうか。

 いや、そんなことはない、人生は自分から選び続けた結果だけではない、他の事情から選ばれてきた結果だと反論する人もあるでしょう。

 そのとおり、人生は、すべて自分で選んだのではなく、他から選ばれてきた結果でもあります。先ほどの例でいえば、「無意識」に右を選んで進んだら、思いがけず、旧知の友人にあって、その出会いが人生を大きく変えたりすることだってあります。出会い、遭遇などは、自分から望んで選んだものとは限らず、他から自分が選ばれるということもあるでしょう。

 ここでいう、選ぶ、選ばれるというのは、誰かを選ぶ、誰かに選ばれるという人間関係に限ったことではありません。事故にあうとか、そういう出来事に選ばれるという意味も含まれます。そう考えますと、確かに自分の選んだ結果が望みどおりの結果になるとは限らず、思いもよらない結果を招くことは多々あります。

 あるいは、もう生まれつき決まってしまっていることもあります。私は、いつのまにか、アメリカでもなく、ブラジルでもなく、日本に生まれつきました。それも戦国時代や大正時代に生まれたのではなく、令和の時代に生きているのは、全く選べませんでした。人生には、全く選択肢のない面もあります。

 このように人生を選択という面から考えますと、

  選ぶ

  選ばれる

  選べない

という要素に分けられるでしょう。

 こう考えますと、選べないことは、もうどうしようもありませんが、選ぶ能力を高めることと選ばれる運を良くすることが人生にとって大切なことになるのではないでしょうか。

 つまり、人生は、運と能力。

 しかし、運と能力、どちらに比重を置くべきか、考えますと、私は運のほうが大切ではないか、と思います。運が悪かったら、どうしようもありません。

 才器力量があっても運がわるいと、それをふるう余地がありません。

 しかし、運さえよければ、いいのか、といえば、能力は練磨することなしには発揮できず、運を活かせないでしょう。

 もっとも、強運な人もいます。例えば、鉄鋼王といわれたカーネギーです。彼は、自分の墓碑に、こういう意味のことばを刻ませたといいます。

「多くのすぐれた才能に助けられて成功した人間ここに眠る」と。