四人の妻を持つ男

 あるところに四人の妻を持つ男がいた。

 第一夫人は、夫が非常に寵愛し、寝ても起きても、家の外でも一度も離れたことがないほど親密であり、飲食も衣服もいつも妻の望むままに与え、夏は涼しく、冬は暖かくして、一度も諍いをしたことがないほどの仲であった。

 第二夫人は、朝から晩までいつもそばにいて、逢えば喜び、離れれば憂い悲しむというほど親しい仲である。

 第三夫人は、時々、会って、嬉しいときに共に笑い、悲しいときに共に泣くという間柄であった。

 第四夫人は、いつも夫の世話をして、炊事、掃除、洗濯と、何ごとも劣らずにこまめに働いているが、夫のほうは別にこの妻のことは気にかけず、ほとんど関心がなかった。

 さて、この四人の妻を持つ夫が老衰して病が重くなり、ついに臨終間近になったとき、第一夫人を枕元に呼び寄せ、

「ひとりで死ぬのはさびしいから、一緒に死んでくれよ。」

と頼むと、彼女は意外にも、

「いやです!」

と連れない返事である。

夫は驚いて、

「おれはいつもお前を愛して、お前のいうことは何でもしてやったじゃないか。おれの最後の願いを聞き入れないというのか。」

と責めると、妻は薄情にも、

「それはそうだけれど、だからといって一緒に死ぬなんて絶対イヤです。」

 夫は仕方なく第二夫人を呼んだ。

「おれはもう今日、明日の命だが、おまえはおれに随って一緒に死んでくれるだろうね。」

「あら、あなたが一番愛しておられた第一夫人さえ、あなたに随おうとしないのに、どうして私が随わなければならないのでしょう。」

夫は涙ながらに、こういった。

「はじめにおまえを妻にするときの苦労は並大抵ではなかったのだ。寒さに触れ、暑さに遇い、飢えを忍び、渇きに耐えて、艱難辛苦しておまえを妻にしてやったのに、それを今になって随わないとは、あまりにつれないではないか。」

「あなたは自分で勝手に私に恋情をいだいて、一方的に私を求めたのじゃありませんか。私があなたを求めたわけじゃあるまいし、一緒に死んでくれなんて、よくも勝手なことが言えますね。」

 夫は、やむなく第三夫人を呼んで、殉死を頼むと、彼女は、

「私は長くあなたの恩を受けてきましたから、お葬式のとき、町はずれまでは見送って差し上げます。でも、余り遠いところまでは無理です。あなたが旅立つ冥土までお供するなんて、とてもできません。」

と、あっさり断った。

 それで、夫は、最後に、日ごろ愛することもなく、ほったらかしにしていた第四夫人を呼んだ。

「今さら、おまえに言えた義理ではないが、おれと一緒に死んでくれまいか。」

妻は穏やかな顔をして、こう答えた。

「私は父母の家を離れて、あなたの傍でお仕えするのが私の務めと思ってきました。この世で、あなたと苦楽を共にしてきたからには、あなたがこの世を去ってゆく今、どうして私だけ生き残ることができましょう。必ず死出の旅にお供して、三途の川もご一緒します。」

こうして夫は生前、最も愛していた三人の妻を従えることはできず、一番、おろそかにしていた第四の妻を連れて、黄泉に赴くことになった。

 仏は、このように一人の夫と四人の妻の話でたとえを示された。

 まず、夫は、人の魂や意識のたとえであり、第一夫人とは人の身体である。人は寒いときも暑いときも、我が身を愛することは第一夫人よりも過ぎるほどであるが、今際のときに、人の魂が罪福の行いに従って独り遠くへ赴くとき、身は地に倒れてしまって、一緒に随うものではない。

 第二夫人は、人の財産である。これを得るときは喜び、これを失うと憂い、艱難辛苦して求めるが、あの世に一緒に持っていけるわけではない。

 第三夫人は、父母、妻子、兄弟や知り合いなどである。臨終のときには、互いに泣き悲しみ、一緒に野辺送りしてくれるが、お弔いが終わると、自分の家に帰り、しばらく経てば死んだ人のことは忘れてしまう。

 第四夫人とは、人の心である。世間の人は自分の心を大切にして、きちんと保護している者は誠に少ない。みな、心を欲しいままにし、貪り、怒り、邪見の念を起こし、仏法を信じようとしないで、その日その日を送っているが、命終のときになれば、ただこの心だけが付き従い、迷いは迷いを生み、さらなる苦悩を受けることになる。ゆえに自ら心を正しくし、行いを正しくしなければならない。

                                雑阿含経