『かつて仏の住せられ給うたところの地』

 京都東山連峰のほぼ中央に『花山』と呼ばれる山がそびえたっています。そこに阿含宗総本山が建立されています。

 私は、何度か、お山まで電動自転車のサイクリングをしたことがありますが、いつも写真の祠のあたりで、ちょうどバッテリーが切れます。毎回、必ずそうなるので、これは、『お参りせよ』というお諭しではないかと思い、歩いて通るときは、この祠の前でお経や御真言をお唱えするようにしています。車でどうしても通り過ぎるときは、合掌一礼して行きます。

 ところで、なぜ、ここに大日如来の石像がお祀りされているのでしょうか。

 それは、本山造成にあたって、ふたつの奇瑞があったためだと伝えられています。

 ひとつは、それまでは何もなかったところに忽然と現れた仏石(五輪塔)と、いまひとつは、古い大日如来像の発見です。

 悠久千二百年の歴史を秘める王城の地、京都は、桓武天皇が平安の都を定められるにあたり、都の鎮護を祈願され、将軍塚をお建てになられたところからはじまりました。その隣接する花山で発見された大日如来の石像は、都の鎮めを祈願されていたことでしょう。

『法を成就しようと願うならば、かつて仏の住せられ給うたところの地をえらんで、道場としなければならぬ。そういう霊地には、もろもろの天龍等が、つねに供養および衛護をなすのである。』(蘇婆乎童子経[そばこどうじきょう]-分別処所分品第二)

 花山で発見された古い大日如来像は、『かつて仏の住せられ給うたところの地』であったことを示しています。また、その石造の発見は『そういう霊地にはもろもろの天龍等が、つねに供養および衛護をなす』というその後の数々の出来事を予兆する奇瑞でした。

 その大日如来の石像がお祀りされている祠でした。