京都山科・北花山の土地購入にあたり、開祖は非常に逡巡されつつも、十中、十まで、土地購入を取りやめることにハラを決められました。開祖は、そのときの心境を碁、将棋にたとえられて「投げ場のかたちをつくるため」に、昭和52年の暮れ、現地視察へ赴かれたとのことです。
1977年、(阿含宗)立宗の前年、手狭になった京都の道場の代わりとなる道場を新たに建立すべく土地を求めていた。候補地もいくつかあがったが、当時のわが教団の力では思うにまかせなかった。
そうした中で、理想の地が一つあり、資金的に力が及ばないと知りつつも、数カ月結論が出せなかった。
わたくしは、現地を視察して、結論を出すことにした。というより、現地におもむき、これまで仲介の労をとってくださった方や誠意を尽くしてくれた不動産会社に配慮しながら、断るつもりでいたのである。
『守護神を持て』より
ところが、現地視察で、一転、開祖は、購入をお決めになったのです。
一体、何が起きたのでしょうか。
ひと通り候補地の山を歩き、断る口実を考えながら、坂道を下りてきたときである。敷地の中ほど、折からの夕陽を受けて浮き上がったように見える、白い円形の物体が目にとまった。梵字を刻んだ五輪塔の仏石であった。刻まれていた梵字はバン。大日如来の種字であった。
「この土地を買おう。いや、買わねばならぬ!」
仏さまがお望みの土地なのだと、瞬間感じた。四〇キロはあろうかと思われる石が突然現れるはずがない。案内した不動産会社の人が、午前中、下見に来たときはなかったという。
『守護神を持て』より
「これは、仏さまがお望みの土地なのだ。この仏石は、仏さまがそのご意志を示すために出現させたものだ。よし、買おう! 総本山を建てよう!」
瞬間的に、開祖は、それまでのお気持ちを一変されました。
それまでわたくしは、自分が道場を建てるのだ、と思っていた。とてもそんな金はできないと考えていた。この年齢になって今さら金の苦労など真っ平だ。しかし、仏さまが建てるというのなら、はなしは別だと思った。わたくしが建てるのではない。仏さまが建てるのだ。それなら、わたくしは、一切、私利私欲をはなれて、仏さまの手足となって努力すれば、*1あとは仏さまがやって下さる。そう思ったのだ。
『一九九九年カルマと霊障からの脱出』より
早速、契約を結ばれ、契約金を十日以内に土地会社へ支払う約束になりました。
じつは、そんな金は全然ないのである。
ちょうど、その月、東京本部道場がどうしても拡張新築しなければならなくなり、その建築にかかることになっていたのである。この所要資金の大半は銀行からの借入金である。それを、いままた花山の土地を買うというのであるから、これはまさにキチガイ沙汰である。
しかし、わたくしは、あの仏石出現の奇蹟を目にした瞬間から、これは仏さまのご意志だ、と確信している。仏さまがなんとかなさるはずだ。わたくしには、どうすることもできない。しかし、仏さまがなされるのだから、かならずなんとかなる。
わたくしは、そのまま、その翌日、東京へ帰ってしまった。あとは、役員と職員にまかせたままである。まったく無茶なはなしだが、わたくしはこう思ったのだ。
これでもしお金が出来るようだったら、これはほんとうに仏さまがなされる仕事である。どう考えてもお金が出来るはずがない。それがもし出来たら奇蹟であり、仏さまが始めた仕事だという証拠である。わたくしが勝手に仏さまのご意志だときめてしまったのか、ほんとうに仏さまのご意志で、あの土地がお望みなのか、これでわかる、と思ったのだ。
それで、わたくしは、信者のだれにもたのまず、東京へ帰ってしまったのである。
すると、なんと、一週間たらずでそのお金が集まってしまったのである。
その報告を電話で聞いて、わたくしは自分の耳を疑った。
まさしく—仏さまのお仕事—。
わたくしは、東京道場の御仏前で、ふかく頭を垂れたのであった。
『一九九九年カルマと霊障からの脱出』より
仏意にかなう聖地だと開祖が御判断されるきっかけとなったこの仏石はいま、関西総本部内陣に「願掛け石」として安置されています。