五根法:能力を発揮させる道

ブッダと神々の対話

第一章・第六節 覚醒している

傍らに立って、かの神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。

「〔他の〕ものどもがめざめているときに、幾つが眠っているのであろうか?

 他のものどもが眠っているときに、幾つがめざめているのであろうか?

 どれだけによって塵にまみれるのであろうか?

 どれだけによって清められるのであろうか?」

〔尊師いわく、ー〕

「〔五根法の五つが〕めざめているときに、〔五蓋の〕五つが眠っている。

 〔五根法の〕五つが眠っているときに、〔五蓋の〕五つがめざめている。

 〔五蓋の〕五つによってひとは塵にまみれる。

 〔五根法の〕五つによってひとは清められる。」

中村元訳『ブッダ・神々との対話ーサユッタ・ニカーヤⅠ』(岩波文庫)より

 五根法と五蓋という全く正反対に働く心の動きを対比しています。

五根法(ごこんほう)

 五根法とは、ブッダの成仏法・七科三十七道品(七つのシステム・三十七のカリキュラム)の中のひとつのシステムです。

 次の五つのカリキュラムから成り立つ成仏法です。

1.信根(しんこん)

・・・信の力を徹底的に自分の心に植えつけていく修行。信解円通していくこと。

2.精進根(しょうじんこん)

・・・精進努力の「能力」を持つ修行。努力すること自体が一つの能力で、その能力を高める修行法。

3.念根(ねんこん)

・・・念の力を何倍にも強める修行から入り、そこから念力を強めて四念処法を修め、空を体得していく修行法。

4.定根(じょうこん)

・・・四禅法(しぜんほう)という瞑想の修行。

5.慧根(えこん)

・・・四諦の法門を完全に体得して、真実の智慧を獲得する修行法。

概略、以上の五つです。

 根とは諸々の善いことを生じさせる根本という意味で、自由にはたらく能力をいいます。能力でも、自由に発揮させる場合と全く揮えない場合がありますが、諸々の善いことを生じさせて、自由に能力をはたらかせていくようにするものです。

 この五つの高い能力をニルヴァーナに向かって発揮していく修行です。

五蓋(ごがい)

 五蓋とは、文字通り、徳を積もうとする心に蓋をする五つの心です。善を生じさせない五つの煩悩のことをいいます。

1.貪欲蓋(とんよくがい)

・・・欲望。むさぼり。

2.瞋恚蓋(しんにがい)

・・・嫌悪。それが昂まると怒りになる。

3.惛沈睡眠蓋(こんじんすいめんがい)

・・・気の滅入ること。心暗く、身も重く、ものうい状態。ふさぎこむこと。眠り込んだような無知蒙昧。

4.掉挙悪作蓋(じょうこおさがい)

・・・心をざわざわさせる掉と心をなやまさせる悪作。心がとりとめなく浮ついた状態。または後悔。そう鬱の状態。

5.疑蓋(ぎがい)

・・・疑い。ブッダの真理の教えを疑いためらうこと。

以上の五つです。

 

 注意深く読むと、「欲望」「むさぼり」を失くすのではなく、「欲望」「むさぼり」を変化させていくことだということに気づきます。

 人は勉強し、努力して、向上しようとするのは、「欲望」「むさぼり」があるからこそ、進歩向上できるのであって、それを失くしてしまったら、モチベーションを失くし、抜け殻のような人になってしまうでしょう。

 また、嫌悪、そして、そこから生ずる怒りの心もあるからこそ、現状に不満を抱き、問題解決のために改善向上しようという行動力が出てきます。

 問題は、何に目覚めているかどうかの違いです。

 五蓋に目覚めている者は、塵垢にまみれ、五根法に目覚めている人は、塵垢を清められるとあります。

 塵垢にまみれるか、塵垢を清めるかが大きな分かれ道になってきます。

 五根法には、いくら能力、才能を磨いても、「塵垢」にまみれていると、十分に発揮する場が得られないという教えが示されているのです。いや、「塵垢」にまみれていると、磨こうという「努力の能力」さえも発揮できなくなってしまう、というのです。

 能力、才能を発揮するためには、あるいは、自分の才能を磨こうとする「努力の能力」を発揮するためには、「塵垢」を清めていくことが強調されています。