「唯識」について考えたいと思います。
人間の存在とは何でしょうか?
それは、❝心の流れ❞です。
私たちの心は常に生じた瞬間に滅します。
滅した瞬間、また、次の瞬間の心と交替します。
これを繰り返して生滅します。
この、繰り返し生滅する心が一つの流れを形成します。
人間の存在とは❝心の流れ❞といえます。
これを、心相続(しんそうぞく)といわれます。
私たちは、この心の流れで世界を認識している、と考えます。
万法(すべてのもの)は心識(こころ)の表象として存在しています。
心識(こころ)の他に独立して存在するものは一切、認めない、と考えます。
すべてのものは心識の所産です。
ただ表象あるのみです。
表象されるものは、外界に存在しているものではありません。
表象されるものは、心識(こころ)それ自体の内奥にある、と説きます。
赤い花がここにあります。
しかし、心の中に赤い花だと認識する念を起させなければ、赤い花として存在しません。
赤い花だと認識するのは、心の中に「赤い花だ」という念を起させるものがあるからです。
したがって、赤い花は外界にあるのではなく、こちらの心の中にある、と説くのです。
こう考える唯識は、一体、私たちの苦悩について、どう解決しようと考えているのでしょうか。
探求してまいりたいと思います。